あたたかな2月に想うこと

2019/02/28
夫の祥月命日に墓参りに行った。いつもなら2月末はまだまだ寒く、3年前夫が逝ったときも雪が舞っていたのに、この陽気はいったいなんだ!?...というくらい今年はぬくい。お墓までの道すがらマフラーを外し、墓掃除をしていたら汗ばみジャケットも脱いだ。去年はお参りをサボったくらい寒かったのにね。

3年前のあの日、深夜にもう意識のなかった夫に向かって、私は「あなたひどい。私の誕生日にしぬんだ」と言ってしまった。
それが聞こえたのかどうか...、夫はバタバタと急ぐようにして、その日のうちに逝ってしまった。日付が変わる1時間ほど前のことだった。
夫の命日と自分の誕生日が同日というのはあまりに辛いので、たった1日の違いでも有り難かった。

だけど今、あのときに感じた以上にもっと有り難く思うようになった。
夫を亡くして一人になった私は、ろくに人ともつき合わず、孤独で陰気な日々を送っている。独り身にとって、クリスマスや正月、そして誕生日はつらい。
しかし、夫の一周忌や三回忌、夫の法事のために遠くに住む姉妹が帰ってきてくれたから、夫の命日の翌日である私の誕生日は、誰かしらが一緒にいてくれて私は孤独ではなかった。

今年は法事はないから誰も帰って来ない。でも、花を送ってくれる人がいて、その人たちと連絡を取り合ったり、なんだかせわしなく時が過ぎて行き、"孤独な誕生日"を味わうこともない。孤独なんか噛みしめたっていいことなんて何もないから、これは本当にありがたい。

まさかそこまで夫が考えていたわけではないだろうが、それでも、夫が最期に私に示し、残していったものは「やさしさ」だった..と思うのだ。


Cat / matsuyuki

夫婦だからいろんなことがあったし、当然きれいごとばかりではない。でも、夫が混濁した意識の中で気にかけたのは、私の身内(当時入院していた母と姪)のことで「俺はいいから行ってやれ」と言った。それから、夫の乾いた喉を潤すために私が夫の口の中に氷を入れたときには、ガリガリと音を立ててそれを噛み、そしてはっきりと「ありがとう」と言った。その時はもう言葉を交わせる状態ではなかったのに...それが夫の最後の言葉になった。(夫が氷を噛み砕くガリガリという音。あれは今際の際の人間が立てる音とは到底思えないほどに力強い音だった)