*古いブログから(2012/11/7)
故郷は九州である。そこで生まれ育った。が、父方母方双方ともに祖父の時代にその地に移り住んだので、本籍地は関西だ。だから、子供の頃から家の中には関西弁が存在していた。と言っても、言葉の端々にちょっと現れる..という程度だったけど..。
家族は皆、その地方の方言を面白がって使ってはみるけれど、土地の人たちの話し方とは明らかに違っていた。私は今でも、生粋の土地の人たちの中にいると、「喧嘩してるみたいだな」と、よそから来た人たちと同じ感想を持つ。
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母方の祖母は、生まれながらにこの地の人だった。
従って、うちの母親は方言を正しく(?)話し、母と一番関わりの深かった長姉も方言がきつい。
母の言葉遣いが子供全員に浸透していないのは、それだけ母と子供たちとの関係が希薄だったということの現れ..じゃないかな。
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母方の祖母は、生まれながらにこの地の人だった。
従って、うちの母親は方言を正しく(?)話し、母と一番関わりの深かった長姉も方言がきつい。
母の言葉遣いが子供全員に浸透していないのは、それだけ母と子供たちとの関係が希薄だったということの現れ..じゃないかな。
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また、姉たちの学校が「標準語を基本とする私学」であったことも、うちの家族の言葉に影響をおよぼしたと思う。
子供時分の私は、家では「外で変な言葉を覚えてきた」と言われ、友達には「○○さんは、家では言葉遣いがちがうね」と言われた。だから、いつもなんとなく、自分は「よそ者」なんだと感じていた。
この「よそ者」という感覚は、要するに「馴染みがない」とか「親近感がわかない」ということでもあって、九州人である夫がことあるごとに「誰々は九州出身だ」と喜ぶのを見ると、とても違和感を感じる。
そして、故郷を遠く離れたここで暮らしていても、やはりずっと自分はよそ者なんだと感じている。言葉遣いの違いというものは、想像以上に相手との距離を感じさせるものなんだと思う。
なんだか、、いつまでたっても、どこにいても、ふわふわした根っこのない人間のような気分が拭えない。
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