3年目の日本

2017/04/30
2年前の4月30日、長かった海外生活を終え日本へ帰ってきた。
当初は3年ほどで帰国するつもりでいたのに...、気がつけば人生の半分以上をそこで過ごした。
それは、まるでジェットコースターのような日々。。夫は、そこで起業し大成功を収め、富と名声を手に入れた。けれどその後、夫は結局なにもかも全てを失ってしまった...。

私たちの生活は転落の一途をたどった。夫は這い上がろうと必死でもがいたが、その泥沼の中にズブズブと沈み込んでいくばかりだった。そんな苦しく先の見えない生活の中で、日本へ帰ることを決断したのは、夫ではなく私だった。(「もう日本へ帰ろう」と口にしたとき、この台詞を言うのは私やったんか..と唖然とした)決して大げさに言っているわけではなく、私が夫を日本へ連れて帰って来た..とそう思っている。

そして日本での生活が始まり、まだ引越荷物も完全に片付いてはいなかった真夏のある日、夫の身体に異変が起きた。本人は痛いとか辛いなどの自覚はほとんどなかったようだが、ひどい黄疸症状が出たのだ。すぐに病院へ行き検査を受けた。すると、あろうことか、ガンで余命半年であると宣告された。
できることは全てやろう!と決心して、頑張って頑張って・・・、そしたら一時は腫瘍が小さくなり、腫瘍マーカーも改善した。それなのに、それで気持ちが緩んでしまったせいなのか、夫は最後、まるでガンにひっさらわれるかのように、バタバタとあっけなくシんでしまった。他の誰より、夫自身が一番驚いたのではないかと思うほどの急激な悪化だった。結局、宣告を受けたあの日から半年もたずに夫は逝った。。。

 
私たち夫婦に子供はおらず、一人になった私は、去年の4月末、夫と一年弱暮らした家を出て、母の家に移り住んだ。
私が帰国した時には、まだこの家でひとり元気に暮らしていた母だったが、その後転んだことが原因で骨折し入院した。高齢だった母は、以後家に帰ることは叶わないまま、病院から介護施設へと移り、そして今年の3月他界した。入院してからの母もまた、坂道を転げ落ちていくかのようだった。

 
夫がシぬ1年前の3月には、20年以上いっしょに暮らした猫がシんでしまい、ものすごく堪えた。そして次の年は夫、さらに今年は母・・・ずっと喪中が続いてる。。
夫の事業が傾いてからというもの、私の人生は不幸の連続で、あまりに不幸が続くものだから、どういうんだろ...徐々にどんどん悪いことが起こると、人って耐性ができるんじゃないのかしらね。もう10年くらいずっと「いよいよ辛くて耐えがたくなったら、その時はシねばいい」と、そう思いながら生きてるんだけど、そのせいなのか、なんか私肝がすわっちゃったかもしれない。
とはいっても、やはり相当しんどくて・・・この頃ようやくうつむかずに前を向いて歩けるようになってきたような、そんな気がする。

そしたらね、去年はそれまでのことを振り返る余裕もなかったんだけど、今年は「あぁ、今日から日本での生活も三年目に突入だなぁ」って、そう気づいたんだよね。


Cat / maebmij
葬式代も残さずにシぬ..なんてことを聞くことがあるが、まさかそれが自分の身に降りかかるなんて考えたこともなかった。それだけではなく、夫はシぬ気などなかったから、別れの言葉一つ残さなかった。遺されたこっちはやりきれない。
でもね、夫が買ってくれていた貴金属や時計を売ったら結構なお金になって、それで葬儀代を払うことができたのよね。腹立たしいやら、有難いやら、哀しいやら。。。