義父母との旅行

2017/06/08

*古いブログから(2012/06/05)

もうずいぶん前のことであるが、夫と夫の両親、そして私の4人で、北京に旅行したことがある。戦時中を中国で過ごした義父のたっての希望だった。
夫は、フライト、宿泊、観光、食事と、全てにおいて周到に予定を立てた。(多少義務的な感はぬぐえないものの、夫は大変な孝行息子である)

ところが、楽しいはずのその旅行は、夫に
両親とは二度と一緒に旅行せん! と決意させてしまったのだった。
なぜって、、義父母は旅行の間中ずっと喧嘩ばかり。お義父さんなんて、機嫌がよかったのは、出発の前日に夫の妹夫婦を交えての壮行会のみで、あとはもう終止、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。(義父は、その一年前に胃の摘出手術を受けていたから、まだ体力が戻っておらず、体がきつかったことも短気の原因であったかもしれない)

Passage [The Great Wall / Beijing] / d'n'c
義父母のため、観光は全てタクシーを利用した。
しかし、タクシーの中からして、もう最悪。。
せまい車内でも、二人の言い争いが途切れることがないのだ。
しかも、夫は体が大きいからと助手席で、私はいつも義父母に挟まれて後部座席だ。真ん中は座りにくいから、それはしょうがないと思う。だけど、人を真ん中にはさんで喧嘩するのは勘弁してほしい。。
罵り合うのはやめてください!
...とは、もちろん言えないよね。だから、、せめて話題を変えようと、「あ、ここ昨日も通りましたね」と私が言うと、今度は「通った」「いんや、通ってない」で喧嘩が始まるのだ...。



それでも義理の関係である私は、二人に対してそんなに腹は立たなかった。「しょうがねえなぁ」とは思ったけど、もともと義父母に対して多くを望んでいないしね...。
それに、この旅行では、義父母にちゃんと尽くそう、絶対に笑顔を絶やすまいと、私はそう決心して臨んでいたのだ。(どんだけ大仕事やねん)

が、夫はキレた...。
帰国の前日に、夫が案内した日本料理店でのこと。
義父が「さて、どんなもんか食ってみてやるか」みたいな言い方をしたときに、夫の堪忍袋の緒はブチン!と切れた。
いや、怒ったからと言って、夫は大きな声を出すわけでもなく、ただムッツリ黙り込むだけなんだが...、夫は怒ると大きな「不機嫌の固まり」と化して、とりつくしまもなくなる。
そんなわけで、その日の夕食はそれこそお通夜みたいだった。たまさかお調子者(私)が、話題を振ってはみるものの、ドヨ〜ンとした重たい空気が取り払われることはなく、消化不良を起こしそうだった。


両親を喜ばせようと頑張ったのに、、夫にとってその旅行は、実に苦々しい思い出となった。そして、不機嫌な3人を尻目に、私ひとりがニッコリ微笑む、ちょっとヘンな写真ばかりが残ったのだった。。

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この旅行の1〜2年後、今度は結婚50周年の海外旅行に連れて行ってくれと、義父母は再び夫にねだった。(もしかして、二人にとって北京は楽しかったのだろうか?、それかもしくは、北京でのことは忘れた..とかなのか??)
もちろん夫は鄭重にお断りした。けれど、両親のためにそこそこのパッケージツアーを選び、二人を送り出してやった。(なんという孝行息子!)
それでもやっぱり、、その後二人は離婚しちゃうんだけどね。。



Cat / Chris Erwin

義父母は、喧嘩して、けんかして、ケンカして・・・そしてついに85歳と74歳のときに離婚した。そんなに長く一緒にいたなら、あと少し辛抱すれば..と思うだろうが、この二人に関しては離婚は正解だったと思う。離婚後じきに義父には認知症の症状が出るのだが、そのとき夫は「親父は離婚して幸せになったからボケたんだ」とそう言った。そんなことならもっと早くに決着をつけておけばよかったのに・・・人生というのはうまくいかないものなのよね。