忘れてはいけないのに...

2019/03/11
先日テレビをつけると、がん患者の最期を記録したドキュメンタリーをやっていた。朝に新聞のテレビ欄を見たときに「そんなものはとても見られない」と思った番組だった。が、結局私はその番組を動揺することなく最後まで見た。自分でも意外だった。これって、私が夫の死を乗り越えた..ということなんだろうか?

夫をがんで亡くした後、がん関連の報道や番組をちゃんと見ることができなかった。夫の主治医に似たキャスターが司会するニュース番組すら見たくなかった。
だが、そんな感情が時間と共に徐々に薄れてきていることは、自分でも感じていた。

その番組は、末期のすい臓がんに冒された(医師で寺の住職でもある)人物の最期までの記録だった。その人は、それまでがん患者に寄り添い、患者の意思を尊重して最期を看取る..ということを医師と住職を兼ねながら行なっていた。が、自身の病気に気づくのは遅れ、がんで亡くなった。番組のスタッフに「自分の葬式まで撮りなさい」とそう仰ったそうで、番組の最後の場面は、その人の骨になった姿だった。


末期のすい臓がんであったこと、坊主頭である容貌、そして年齢も、夫の姿と重なった。そしていよいよ最期、がんが一人の人間から全てを奪い去っていく恐ろしい様子も夫と同じだと思いながら、そのどれをも私は目をそらさずに見た。冷静でいられる自分自身に驚いた。以前の私なら、すぐさまチャンネルを切り替えていただろう。

時間によって心が癒され、悲しみを乗り越えた..と言えば聞こえはいいけど、つまり人はなんでも忘れていくんだな。。。
苦しい気持ちを抱えたまま生きるのはしんどいけど、楽になっている自分の今の気持ちに気づくと、それはそれで夫に対して申し訳ないような...そんな気がした。


Cat / wdwSteve

夫は不幸なしに方をしたから、残された自分も幸せになったりしてはいけない..という思いが、どこかしら私の心の奥底にはある。だから申し訳なく感じるのだろう。
夫が亡くなる前に2人で交わしたメッセージの記録がある。一度チラっと見たものの、とても読む気にはならず今に至っているが、そろそろあれを読むことができるのかもしれない。そうして、夫と過ごした最後の時間を一度しっかり思い出し、心に刻まなければいけないのかもしれないな。その人を忘れない誰かがいることは、その人が生きた証でもあるのだから。(だけど実際、人はいろんなことを忘れていくから生きていけるんだろうけど...)